昭和48年01月07日 特別報修委員
合楽で五つの願いと言う事が言われて、皆さんもいまそれに取り組んでの信心が、でけておるわけでございますけれども、取り組んでみれば取り組んでみるほど、これがやはりその、御祈念が成就しなければならないのですから、ただ唱え言葉だけじゃいけんのですから、あのほんとにそれが成就していかなければならない事の為に、真剣に取り組んでおられる人達の、いろんなあの体験が素晴らしいですね。あの取分けあの人を責めないとかね、という御教えを実行するとか、行ずるとかとこういう事。
それでそこで、あの分からせて色々あの、取次をさせて頂いて、その事の為のいわば、先日からも申しますように、五つの願いを願う事がほんとに願える事の為の、願いがいると言った様なね、そういうお届けを、皆さんなさるんです。そしてあの皆さんのあのお届けを聞かせて頂いてから、あの私が私の場合は、是があの真剣にでけるというのはどう言う事かというと、最後の真実の御用がでけますようにとか。
神様の悲願のである神願が御成就になるように、その御用に使うて頂くようにという願いが、私の場合は非常に強いんです。もう三つの願いよりも強いわけです。ですからあの、同時に私はここで思うことはですね、信心の精進というか、努力がなされておらなければね、この五つの願いは、非常に薄い、かるういものになるて言う事ですね。もうこりゃ本気でね、あの信心に取り組み、信心の精進、信心の修行をしておらなければね、この願いはほんとはでけない、ていうことです。
これは皆さんもあの、あのまだ体験しておられない方は、あの体験なさらなければなら、愈々、ね、本気で信心の精進が成されておる、例えて今言うこうして、寒修行があっとりますがね、寒修行に出てこんぐらいなことでですね、この五つの願いは願っても、神様が聞いて下さったとると言った様なもう、確信と言った様な御祈念はでけないと言う事。そんなにやっぱり、あの素晴らしいことですね。
けれどもその精進がでけておるとです、それがもうスムーズに御祈念がでけるということです。五つのなら言うなら願いというものはですね。あの一つ本気であの精進しなければ、本気であの信心の努力をさせて頂かなければ、五つの願いというものを立てさせて頂いて、あの祈らせて頂いておっても、それがもう楽しゅうまあなんかほんとに、ぐいぐい自分の願いというものを神様、聞き届けておって下さると言った様な実感のこもった、御祈念にもおかげにもならないと言う事。
結局はあの努力なしには願われない事が分かります。信心の修行信心の言うならばあの、努力をさせて頂かなければ、この五つの願いというものは、本当はでけないなと言う様な所まで、皆さんが高めておいでられておりますですね。そういう意味でおかげ頂くはずだと思いますよ。信心の努力をさせて頂かなければ、祈られないごとなってきた実際はん、でないと願いがうつろなものになってくる。ただ並べ立てておるだけではね。
だからそれを充実した願いは、信心のほんとの信心の、苦労というものが成されておるというかね、言うなら本気でそのみ教えに取り組んでおる、とかと言う事になってこないと願いが、願いが願いにならないと言う事になります。どうぞひとつ愈々精進努力させてもろうて、そしてがっちりこの祈りというものがです、神様が聞き届けてくださる、という確信を持って願っていけれる、五つの願いでなからなければならないと思うですね。
どうぞ。